大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2272号 判決

控訴人

有限会社大圭青木水産

右代表者

青木末吉

右訴訟代理人

明石安正

明石奈保子

被控訴人

右代表者法務大臣

倉石忠雄

右指定代理人

小野拓美

外六名

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金五三九万六八五〇円及びこれに対する昭和五一年七月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

この判決の第二項は控訴人において金一五〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金九四九万六五〇〇円及びこれに対する昭和五一年七月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(主張)

一  控訴代理人

1  被控訴人の被用者である訴外中村栄作は事業を執行するにつき控訴人に損害を被らせたのであるから、被控訴人は、民法第七一五条によりその損害を賠償する責任がある。

(一) 被用者が職務を逸脱して事業を執行した場合、殊に被用者が地位を濫用し私利を図り私用を足すために行為した場合には、当該行為の相手方(被害者)の立場を尊重して、当該行為の外形から客観的に判断し、当該事業の執行行為に該当するか否かを検討すべきであるところ、これを本件について見るに、(1)防衛庁航空自衛隊補給統制処という名称からすれば、社会通念上その部署が物資の補給調達に関する業務を担当しているものと考えられること、(2)中村は補給統制処所属の防衛庁事務官であり、控訴人の専務取締役である訴外坂本元は、中村から直接電話で連絡を受けて、東京都新宿区市ケ谷所在の補給統制処へ出頭することを要請されたこと、(3)坂本は、中村と面接し売買の折衝をするのに、所定の厳重な面会手続を経て航空自衛隊市ケ谷基地内に出入りしたうえ、補給統制処と大書した表示(看枚)のある三階建鉄筋コンクリート造建物(同基地に所在する一二号館)の二階会議室において、中村と長時間にわたつて商談し、中村から「年末に、正月用の数の子を職員にあつせんし、又は隊員の食用に供するため、数の子を購入したい。」と注文を受けたこと、その他諸般の事情に照らせば、中村が控訴人に対し控訴人主張の数の子等を注文し、控訴人からその交付を受けた行為は、被控訴人の事業の執行につきなされたものというべきである。

(二) 中村栄作が職務権限を濫用して控訴人から売買名下に控訴人主張の数の子等の交付を受けたものであるとしても、控訴人は、中村のした職務権限濫用行為につき善意無過失であつた。すなわち、控訴人のみならず一般民間人は官庁(特に防衛庁等)の職員に対し高度の信頼を抱いているばかりでなく、控訴人のように生鮮品を取扱う水産業界においては、天候、漁獲量等により短時日の間に値段の相場が上下するので、取引は電話一本による遣り取りで決めるのが通例であり、また、各時点における相場が自ら形成されているので、取引の数量さえ決まれば売買代金額も自然に定まるものであつて、発注書や契約書を取り交わしたうえで取引を成立させるような事例はないのである。更に、控訴人は、業界の顧客以外の者と取引をしたことがなく、官庁を相手に取引をしたのは本件が初めてのことである。したがつて、前記(一)の(1)ないし(3)のような事情のもとにおいて、控訴人が従来の取引方法、取引感覚をもつて官庁の職員である中村との間に取引の折衝をしたことは何ら非難されるべきことではないものというべきである。

2  また、被控訴人は、次のような自らの過失により控訴人に損害を被らせたのであるから、民法七〇九条によりその損害を賠償する責任がある。

(一) 被控訴人は、公僕たる防衛庁事務官として誠実公正に職務を全うすべき職員を採用すべき義務があるのに、これを怠り、賭博罪の前科をもつ中村を採用したのであるから、被控訴人にはその選任行為につき過失があつた。そして、金銭に密着した賭博罪を犯すような者は、その地位を濫用し、いずれ金銭的犯罪を犯すであろうことが目に見えていたのであるから、被控訴人としてはその予見が可能であつたはずである。

(二) 被控訴人は、採用した中村がその業務を公正に遂行するよう常時監督すべき義務があるのに、これを怠り、次のような過失と目し得る行為をした。

(1) 中村は、控訴人の取締役坂本元を補給統制処の会議室に招き入れ、会議室で長時間にわたり坂本と商談したのであるが、被控訴人は、中村が勤務時間中に会議室を詐欺行為の道具立及び実行場所として使用していたことを漫然と看過した。

(2) 中村は、補給統制処総務課又は第三調達課の保管に係る「調達品出荷支払通知書」用紙及び印判を無断で持ち出し、右表題二通を偽造したが、被控訴人は、中村のした右行為を看過した。

(3) 中村は、控訴人との本件取引にあたり、取引内容の打合わせ、代金の催促に対する弁解等のため、十数回にわたり長時間に及んで前記坂本と電話で話しをしているが、その電話による通話はすべて補給統制処第三部第三整備課の中村の執務室にある電話機を使用して行われたものである。そして、中村の執務室には中村の机に接して上司の机が置かれ、上司は、中村が坂本と通話をしていたとき、相当回数にわたつて中村と同室していたのであるから、上司は、中村のした不正行為に気付くことができたものというべきである。しかし、上司は、中村の不正行為に気付かなかつたのであるから、その監督義務を十分に尽くさなかつたものというべきである。

二  被控訴代理人

1  控訴人主張の前記一の1の冒頭の事実(中村栄作が被控訴人の事業を執行するにつき控訴人に損害を被らせたとの事実)は否認する。

(一) 同1の(一)のうち、(1)については、補給統制処という名称は、統制という文言から補給を統制・計画・調整する業務を担当する部署であることを容易に推測させるし、(2)については、本件とさして関連性のない事柄であり、(3)については、厳重な面会手続を経て基地内に出入りしたことは本件と何ら関連性がなく、会議室は補給統制処の会議室であり、会議室が使用されたこと自体をもつて中村のした行為が職務行為であるとみられる外形とはなりえない。また、第三整備課が隊員にあつせんする正月用数の子を購入するということは常識的に信じ難いことである。

中村ないし航空自衛隊補給統制処第三部の職務権限は、「補給処の行う航空自衛隊の用いる需品の調達等の業務を統制(補給処の業務が円滑に行われるよう計画し、その実施を指示し、また、業務が計画どおり遂行されるよう監督し、計画目標と実績とを検討して業務遂行上のあい路を究明し改善する等の措置をとる)する業務を行う」ものであり、物品購入の権限を有さないことはもちろん、これと関連する職務権限も有していない。まして、「防衛庁職員にあつせんする正月用数の子の購入行為」が真正な職務と全く関連しないことは明らかである。したがつて、中村のした行為を外形的に検討しても中村の職務行為との関連性が生じる余地は全くなく、中村のした行為は事業の執行につきなされたものではないというべきである。

(二) 前記一の1の(二)の事実は否認する。

控訴人は、中村のした行為が真正の事業執行でないことを知らなかつたことにつき重大な過失があつたから、この点からも民法第七一五条は適用されない。すなわち、中村が控訴人との間にした取引は、官庁との取引としては通常あり得ない異例の態様に属するものであり、通常人の注意をもつてすれば、控訴人においてこれを容易に看取し得たものであるから、控訴人にはこれを知らなかつたことにつき重大な過失がある。控訴人は、その営む業種の特殊性のために取引の異常性を看取し得なかつたと主張するが、それは控訴人ないし坂本元の固有の事情にすぎないのであるから、控訴人の右の主張は失当である。

2  控訴人主張の前記一の2の冒頭の事実(被控訴人自身に中村栄作の選任監督につき過失があつたとの事実)は否認する。

(一) 中村の賭博罪の前科は罰金刑であるから、中村は官職に就くに際し国家公務員法第三八条の規定する欠格条項に該当する者でなかつたし、採用時においてその者が採用後犯罪を行うことが容易に予見し得るような特段の事情が存しない限り、採用に過失があつたとはいえないものであるところ、中村を採用するに際しそのような事情は存在しなかつたのであるから、被控訴人が中村を採用したことについて何ら違法がない。

(二) 前記一の2の(二)の事実は否認する。

(1)については、控訴人主張の会議室は職員が誰でも使用できるものであり、特に上司等が中村の不法行為に気付いていない限り、中村が会議室を不法行為の場に使用することを規制することは不可能であるが、本件の場合、会議室が右のような目的で使用されているとの疑いを抱かせるような状況はなかつたのであるから、被控訴人が中村の会議室使用行為を看過したというのは当たらない。

(2)については、控訴人主張の偽造文書のもとになつた用紙は単に防衛庁内部で使用されるものにすぎないものであり、また、偽造文書に押捺された印判(スタンプというべきもの)も内部文書が決裁済みであることを表示するものにすぎないものであるから、いずれもその取扱い及び保管に注意を要するものでなく、したがつて、被控訴人が中村の右用紙及び印判の使用を看過したというのは当たらない。

(3)については、中村が執務室の電話で坂本元と通話をしたとしても、中村は大声で通話したとは考えられず、また、上司等もそれぞれ執務しているのであるから、中村の通話の内容につき注意を払うべきであつたと要求するのは不可能を強いることになり、当を得ないものであつて、被控訴人は何ら監督義務を怠つていない。

(証拠) 〈略〉

理由

一まず、控訴人は、被控訴人(防衛庁航空自衛隊)に対し、(1)昭和五〇年一二月一六日、数の子三〇〇〇キログラムを代金一七二六万八〇〇〇円で、(2)同月一七日、数の子二〇〇〇キログラムを代金一一三二万二〇〇〇円で、(3)同月二二日、数の子一〇〇〇キログラムを代金五四〇万円で、(4)昭和五一年一月三〇日、数の子一〇〇〇キログラム及びすけとうだらの子二一四二キログラムを代金七〇〇万六五〇〇円でそれぞれ売り渡したので、その売買代金残額九四九万六五〇〇円の支払を請求するというのであるが、控訴人がその主張の売買契約を被控訴人と締結した事実を認めるに足りる証拠がないうえ、控訴人主張の売買契約締結につき中村栄作に権限踰越による表見代理が成立した事実を認めるに足りる証拠もないことは、原判決がその理由の一の1及び2において説示するとおりであるから、これを引用する。

したがつて、被控訴人に対し右売買代金残額の支払を求める控訴人の本訴請求は理由がないものというべきである。

二次に、控訴人は、被控訴人に対し、国家賠償法第一条第一項又は民法第七一五条第一項により控訴人の被つた損害の賠償を請求するというので検討する。

1  中村栄作が昭和五〇年一二月当時防衛庁航空自衛隊補給統制処第三部所属の防衛庁事務官であつたこと及び坂本元が同月一三日商談を目的として東京都新宿区市ケ谷所在の右補給統制処第三部に中村を訪ねたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  控訴人は、東京都中央区築地所在の中央卸売市場において、イクラ・数の子・たら子・筋子等魚卵の卸売業を営む有限会社であり、代表者代表取締役青木末吉が老齢のうえ病気がちであつたところから、専務取締役の坂本元が青木末吉から一切を任されてその経営にあたつていた。

坂本は、昭和三八年ころから訴外竹内春男と知り合い、交際していたが、竹内は、昭和五〇年一二月ころ食料品のブローカーをしていた。

中村栄作は、昭和四〇年一月二〇日防衛庁事務官に任命され、航空幕僚監部人事教育部人事課人事第三班に配置されたが、昭和四二年三月一日補給統制処に転任し、昭和四六年八月二日第三部第三整備課に配置されて執務していたところ、昭和五〇年一二月当時は第三整備課の計画班に所属し、その班員として勤務していた。

中村は、昭和五〇年一〇月ころ竹内春男と知り合い、以後数回、竹内の食料品取引を援助して手数料を得ていた。

(二)  坂本元は、昭和五〇年一二月初旬ころ、竹内春男から、「今は防衛庁への納入業者になつて、防衛庁に魚や罐詰を納入しているのだが、防衛庁で数の子を欲しがつているので、品物を回してもらえないだろうか。坂本さんの力を借りたい。」等と申入れを受け、更に、同月一〇日ころ、中村栄作から電話で、「防衛庁の中村であるが、竹内さんが私の話を持つて行くので、よろしくお取り計らい下さい。」と言われたうえ、竹内から「是非担当官に会つて下さい。」と言われたので、坂本は、防衛庁の担当者から具体的な話を聞いてみようと考え、同月一三日午後一時ころ、竹内の案内で、東京都新宿区市ケ谷本村町一番地所在の自衛隊市ケ谷駐とん地の一画にある航空自衛隊市ケ谷基地に赴き、北西部にある薬王寺門の面会者受付所において後記認定のような手続を経て入門の許可を受け、同基地内の第一二号館(鉄筋コンクリート造三階建)に置かれた航空自衛隊補給統制処の庁舎の二階にある同統制処第三部第三整備課計画班の中村の執務室に同人を訪れ、中村から指示を受けて竹内とともに、右執務室の廊下を隔てて向かい側にある補給統制処の第一会議室に招き入れられた。

(三)  中村栄作は、右第一会議室において、坂本元に対し、「航空自衛隊補給統制処第三部防衛庁事務官」と肩書を付した「中村栄作」の名刺一枚を手交したうえ、「防衛庁の中村であるが、防衛庁で数の子を購入したいので、早急に五トンほど調達してもらいたい。お国のためだと思つて何とかお願いします。代金は一二月二八日までに半金を支払い、来年一月一五日までに残金を支払います。支払方法は日本銀行から控訴人の銀行預金口座に振り込んで支払います。隊員が年末年始で帰省する前に数の子を納入してもらいたい。」等と申し入れ、竹内春男も坂本に対し、「中村さんは防衛庁でいろいろ物資を調達するのを担当されている方です。」等と口添えしたので、坂本は、年末という時期からみて、五トンという大量の数の子を調達することは至極困難であると考えたが、「お国のために協力してくれ。」と言われたことに発憤し、中村の注文を受けることとして、同人に対し、「一番安い口銭で納めます。数量については最善の努力をして調達してみます。」と約束した。また、坂本は、その場で中村から控訴人の取引銀行の口座番号を教えてくれと言われ、中村に対し取引銀行である訴外株式会社第一勧業銀行築地支店の預金口座番号〇一四三八九六番を教えた。

(四)  坂本元は、直ちに仕入先・同業者に対し、防衛庁に大量の数の子を納入することになつた旨を告げてその協力を求め、品質を厳選してこれを集荷し、約定を履行し得る目処がついたので、昭和五〇年一二月一五日ころ、第三整備課計画班において執務中の中村栄作に対し、電話で、「注文を受けた数の子を調達することができたので、いつでも納入することができる。」旨を連絡した。中村は、その電話で坂本に対し、「明日自衛隊の方から自動車を差し向ける。」と告げた。

中村は、同月一六日、坂本に対し、電話で、「今車をそちらへ回したから、よろしく頼む。」と連絡し、坂本は、同日午後二時ころ、「中村事務官の使いの者である。」と名乗つてやつてきた自動車の運転手に対し、控訴人の中央卸売市場内の商品置場において、当日集荷した数の子三トン(代金一七二六万八〇〇〇円相当)を引き渡し、次いで、坂本は、同月一七日午後二時ころ右同所において、同様の方法により同じ運転手に対し、当日集荷した数の子二トン(代金一一三二万二〇〇〇円相当)を引き渡した。その運転手は、同月一七日坂本に対し、「昨日は数の子を入間基地の自衛隊に搬入したが、今日は数の子を熊谷基地の自衛隊に搬入する。」と説明した。

(五)  中村栄作は、昭和五〇年一二月二〇日ころ坂本元に対し、電話で、「これまでの業者から納入されたものより良いものであつて、大変な評判だし、注文に応じ切れないので、もう一トン是非お願いします。」と重ねて注文した。坂本は、再び取引先等の協力を求めてこれを集荷し、その旨を中村に連絡すると、中村は、同月二二日午後二時ころ、使いの者として前とは別人の運転手を差し向け、坂本は、東京都中央区築地六丁目所在の訴外日本冷蔵株式会社勝どき橋工場に保管していた数の子一トン(代金五四〇万円相当)をその場で右運転手に引き渡した。その運転手は、その数の子を同都大田区蒲田所在の倉庫に搬入すると坂本に説明した。

(六)  坂本元は、昭和五〇年一二月二八日ころ、控訴人の前記第一勧業銀行築地支店の預金口座を調べたところ、約定の代金が全く入金されていないことを知つたので、早速第三整備計画班において執務中の中村栄作に対し、電話で、代金の支払方を催促すると、中村は、「一二月一五日までに品物が入らなかつたので、支払は来年になつてしまう。」と弁解し、更に、坂本が昭和五一年一月八日ころ同じように中村に催促したところ、中村は、「年が明けて直ぐ、会計検査院の調査があつて、帳簿を動かせないから、調査が終わるまでもう暫く待つてほしい。」と弁解を繰り返した。

(七)  他方、中村栄作は、昭和五一年一月二八日ころ、坂本元に対し、電話で、「会計検査院の調査の見通しが立つて、これまでの代金は二月五日に間違いなく全額支払えることになつた。入間基地での数の子の評判が非常に良いので、代金未払で申し訳ないが、数の子をあと一トン納入してくれないか。」と申し入れ、更に、「今度の分も合わせて間違いなく支払うから、心配しないで納品してくれ。」と付け加えたので、坂本は、中村の説明を信用し、その注文を引き受けて、数の子の調達に取り掛かつた。

坂本は、同月三〇日、注文の数の子を取りまとめ、その旨を中村に電話で連絡すると、中村は、同日、自ら控訴人の事務所に出向いたうえ、坂本の案内で数の子の保管場所である同都品川区大井埠頭所在の訴外北商株式会社の倉庫に赴き、中村の用意した自動車に数の子一トン(代金五四〇万円相当)を積んでもらつたが、その場で坂本に対し、「たら子も希望者が多いので、ついでに二トンほどもらつて行こう。」と申し入れ、その承諾を得て、更にその自動車にすけとうだらの子二トン一四二キログラム(代金一六〇万六五〇〇円相当)を積んでもらい、坂本に対し、「今日は遅いから、いつたん東京定温倉庫に入れますから。」と断わつて、その場から同区品川所在の訴外東京定温倉庫の前まで右数の子等を運搬し、その場で坂本から右数の子等の引渡しを受けた。その際中村は、坂本に対し、作成名義人を「空自中村事務官」と自筆した右数の子等の受領を記したメモ一枚を交付した。

2  そこで、中村栄作の職務権限について調べるに、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  航空自衛隊にその機構として、補給処及び補給統制処が置かれているが、補給処においては、航空自衛隊の需品、火器、弾薬、車両、航空機、施設器材、通信器材、衛生器材等の調達、保管、補給又は整備及びこれらに関する調査研究を行うのに対し、補給統制処においては、補給処の行う右の事務に関する統制業務を行うものである。すなわち、補給統制処においては、補給処の事務が円滑に行われるよう計画し、その実施を指示し、また事務が計画どおり遂行されるよう監督し、計画目標と実績とを検討して事務遂行上のあい路を究明し改善する等の措置をとるのである。

(二)  航空自衛隊補給統制処第三部には、第三整備課、第三補給課及び第三調達課の三課が置かれ、第三整備課においては、通信器材、電波器材、気象器材、写真器材(航空機とう載の通信器材、電波器材及び写真器材並びにナイキ特殊装備品を除く。)、計測器、訓練器材(航空機関係訓練器材を除く。)等及びこれらの部品について、(1)整備業務の統制及び指導に関すること、(2)整備の計画に関すること、(3)整備に関する調達請求に関すること、(4)改善及び改修業務に関すること、(5)技術関係図書の審査に関すること、(6)整備に関する基準の資料の作成に関すること、(7)計画諸元に関する資料の作成に関すること、(8)整備に関する標準化業務に関すること、(9)関係予算の調整に関すること、(10)部内の業務の総括に関すること、(11)部内の他の課の所掌に属しない事項に関すること、をつかさどる。

また、第三整備課には、計画班、総括班、地上通信電子班、警戒管制班、支援器材班及びとう載通電班が置かれ、計画班においては、(イ)部の所掌業務について、(1)部の計画作成、(2)事務の総括、調整、(3)所掌予算の総括、調整及び現況は握、(4)支援状況の総合は握、分析検討及び処理促進、(5)エス・オー・ビーの作成維持、に関すること、(ロ)部内の他の課の所掌に属しない事項に関すること、をつかさどる。

(三)  第三整備課計画班における中村栄作の担当業務は、(1)第三部の各課が作成した業務計画の進捗状況等の分析検討書を取りまとめ、部長承認を得るための諸準備に関する業務、(2)会計検査院実地検査受検時に説明実施者が作成した質疑応答書の整理業務、(3)補給統制処の作成する機関誌「装備」の編集委員としての業務、(4)第三部一般秘密保全責任者としての業務、(5)技術指令書案の接受、記録及び送達の業務、(6)装備品の維持管理を能率化するための標準化についての会議日時等を部内担当者へ連絡する業務、であつた。

(四)  会計法上売買等の契約を実施する権限を有する者は、支出負担行為担当官及び契約担当官に限られるが、補給統制処においては、(1)装備基準部調達課長が分任支出負担行為担当官であつて、補給統制処長(補給分任物品管理官)の調達要求に基づき、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定第一条の規定に基づく有償譲渡物品につき契約を実施し、(2)業務課会計班長が契約担当官であつて、補給統制処長(一般分任物品管理官)の調達要求に基づき、市ケ谷基地所在の部隊(航空自衛隊の中央航空通信群、幹部学校、補給統制処)で使用する事務用の備品及び消耗品につき契約を実施する、とされている。

(五)  したがつて、補給統制処においては、ごく限られた物品について売買契約を締結することがあるのみで、しかも、契約締結権限を有する者は右(四)の二名だけであつて、海産物等糧食の契約業務は行つていなかつたのであり、中村には売買契約締結権限はもとよりその他の契約締結の代理権限も与えられていなかつた。

なお、補給統制処における職員の福利厚生に関する事務は、業務課の厚生班がこれを担当していたが、右厚生班において職員のため衣料品・食料品の購入をあつせんした事例はなく、基地内には酒保が置かれて、依託業者がこれを経営し、隊員・職員の日用品・飲食物等の需要をまかなつていた。また、市ケ谷基地における隊員等の糧食については、陸、海、空の各部隊が協定して、その業務を陸上自衛隊市ケ谷駐とん地の業務隊に一任していたが、その業務は基地内の前記第一二号館とは別の建物である第二号館において実施されていた。

3  次いで、補給統制処の置かれている建物の状況、中村栄作の執務状況及び基地内への入門・面会手続等について調べるに、次の(一)の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、次の(二)以下の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  補給統制処に所属する者と面会しようとする者は、自衛隊市ケ谷駐とん地の表門、左内門又は薬王寺門に設けられた面会者受付所において、面会申請書に、日時、面会の相手方の氏名及び所属、面会の目的、申請者の住所氏名を記入してこれを右受付所勤務の係官に提出する。係官は、電話で面会の相手方と連絡を取り、その意向を確認した後、申請者に入門を許可し、その際申請者に入門許可バツジを交付する。申請書は、入門して相手方との面会を終えると、面会の相手方から右申請書に面会時間(始期と終期)を記入してもらい、かつ、捺印してもらつて、出門に際し、係官に右申請書と入門許可バツジを返納する。

(二)  補給統制処は、中央航空通信群(一階を使用)とともに第一二号館(鉄筋コンクリート造三階建)を使用しているが、第一二号館の表出入口には「補給統制処」と、裏出入口には「航空自衛隊補給統制処」とそれぞれ大書された木製の看板が掲げられている。

第三整備課の執務室は第一二号館の二階にあり、室内には第三整備課長の机のほか、執務用の机二三脚が配置され、計画班四名用の机は廊下との出入口に最も近い位置にあつて、右四脚の札の中央付近に外線との通話が可能な内線用の電話機が配置されていた。中村栄作は、計画班用の机のうち廊下との出入口に最も近い位置にある机を使用していた。

第一会議室は、第一二号館の二階にあり、廊下を隔てて第三整備課の向かい側にあるが、補給統制処総務課の課長が第一会議室の管理責任者である。第一会議室は、特に会議・会合等に使用される場合を除き、臨時簡略な打合わせ等に使用されていたが、後者の場合、総務課長の許可を得て使用する者もあり、総務課長に無断で使用する者もあつた。

(三)  坂本元は、昭和五〇年一二月一三日、竹内春男とともに薬王寺門から市ケ谷基地に入門したが、その際面会申請書に、面会の相手方を「中村栄作」と、面会の目的を「商談」とそれぞれ記入して係官にこれを提出した。入門した坂本は、第一二号館の表出入口にある看板に「補給統制処」と大書されているのを見て、第一二号館にある役所は防衛庁の物資を購入するところであり、すべての納入品はその役所で取り扱つているものと判断した。その二階に上がると、竹内は、坂本を廊下に待たせて置き、計画班で執務していた中村栄作に来意を告げて、中村を坂本に引わ合わせ、中村は、坂本と竹内を第一会議室に招き入れて、坂本と挨拶を取り交わし、前記認定のような数の子の取引の折衝をした。坂本は、中村が計画班の執務室から出て来たうえ、坂本らを第一会議室に招き入れて商談に取り掛かつたので、取引の相手方すなわち数の子の買主は官署である防衛庁であり、防衛庁が数の子を間違いなく買つてくれるものであると信じた。

(四)  第三整備課計画班には班長一名、班員三名が所属していた。中村は、第一会議室で坂本と商談した際、坂本に中村の机にある計画班の電話機の内線番号を教え(もつとも、前記名刺の裏にその電話番号が印刷されている。)、以後坂本と電話で通話した際には、ほとんどその電話機を使用した。しかし、中村は、周囲の者には聞き取れないような低い声で通話していたうえ、格別にそわそわするような不審な態度を示さなかつたので、第三整備課の課長及び同僚らは、中村のしていた不法行為に全く気付かなかつた。

(五)  第三整備課の執務室には常時一日に三〇名くらいの民間の業者が出入りしていた。それは、補給統制処においては前記認定の通信器材等の器材及びその部品につき直接業者との間で売買契約を締結することはなかつたが、補給統制処は、補給処が要求するところの、整備に関する調達請求に関すること、改善及び改修業務に関すること、技術関係図書の審査に関すること等の業務をつかさどるため、その業務を遂行するのに各専門業者から専門的知識・意見等を徴することが必要となり、常時多数の業者を呼び入れ、その打合わせをしていたからである。つまり、例えば、補給統制処が整備又は改修のためある器材又は部品の購入が必要であると認めた場合は、補給統制処が技術指令書と題する文書を発行し、補給処は、その技術指令書に基づいて指定された器材又は部品を購入するという仕組になつているのである。

4  そして、中村栄作のした不法行為について調べるに、前記1の(一)ないし(七)において認定した事実に、〈証拠〉を総合すれば、中村栄作は、昭和五〇年一二月当時、多額の借財の弁済に苦慮していたことなどから、防衛庁事務官の地位を利用し自らの利を図る意図のもとに、防衛庁との取引ができるという口実を設けて控訴人から魚卵を騙取しようと企て、竹内春男と共謀のうえ、防衛庁が魚卵を買い受け、その代金を支払うものではなく、中村らもその代金を支払う意思と能力がなかつたのに、控訴人の専務取締役坂本元に対し、あたかも防衛庁が控訴人から数の子及びすけとうだらの子を買い受け、その代金を支払うもののように装つて、その旨を申し向け、坂本をしてそのように誤信させ、よつて坂本から前記認定のように数の子及びすけとうだらの子の交付を受けてこれを騙取し、控訴人に対しその代金額に相当する合計四〇九九万六五〇〇円の損害を被らせた事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三そこで、前記二において認定した事実に基づき考察するに、まず、中村栄作は、防衛庁を代表又は代理して海産物等糧食につき売買契約を締結する権限を有しなかつた者であり、控訴人との間に魚卵の売買名下に行つた前記行為は、中村が防衛庁事務官としての地位を濫用し私利を図る目的をもつて行つたものであることが明らかであるが、中村のした右不法行為は、いわゆる私経済的作用に属するものであるから、控訴人の訴求する被控訴人の損害賠償責任の存否については国家賠償法第一条一項の規定の適用はなく、民法第七一五条第一項の規定の適用が問題とされるべきものと解するのが相当であるところ、中村のした不法行為が「事業ノ執行ニ付キ」行われたものであるか否かを判断するについては、その行為が客観的に見て被控訴人の事業に付随的な業務に関係すると認められるか否か、及びその行為が客観的外形的に見て被用者たる中村の職務に属すると認められるか否かの各点から検討するのが相当である。以下、便宜上前記二において認定した事実の順に従いこれを検討する。

1 航空自衛隊には機関として補給処と補給統制処が置かれているのであるが、一般人が右各名称表示を見て両者の担当事務の内容及び差異を識別することは極めて困難であると見ることができる(自衛隊法第二四条、第二六条及び第二六条の二にそれぞれ規定されているのであるが、右各規定が日常生活において周知のものであるとはいえない。)。しかも、当審証人福村郁信の証言によれば、航空自衛隊の補給処は木更津(千葉県)、岐阜(岐阜県)及び入間(埼玉県)に所在している事実を認めることができるところ、補給処が地方に分散して所在しているのに比較し、補給統制処は中央と目すべき自衛隊市ケ谷駐とん地に所在するのであるから、一般人が表出入口に掲げられている「補給統制処」と大書された看板を見て、その官署が防衛庁又は自衛隊において必要とする物資の購入等を所掌するところであると考えるのは無理からぬことである。

2 坂本元は、取引の相手方の真意を確認すべく、防衛庁事務官の中村栄作に面会しようとしたのであるが、面会するに際し所定の厳格な手続をとり、面会の目的を「商談」と記入して面会申請書を提出し、入門の許可を得て中村の執務室に至り、中村から第一会議室に招き入れられて取引の折衝をしたのであるから、一般人としても中村は職務の執行として取引の折衝をしているものと考えるのが通常であるということができる。

面会申請書に面会の目的を「商談」と記入し、それが私用のものであつたとすれば、中村は執務中に私的商談をすることになるのであるから、その面会を許可するについては係官から何らかの詮索があるべきものと推測することができるが、本件においては右のような詮索があつたことを認め得べき資料はなく、しかも、第三整備課には常時一日に三〇名くらいの民間の業者が出入りしていたことに照らせば、面会の目的を「商談」と記入しても、それは当然に公用の商談であるものと取り扱われ、第三整備課計画班の中村に「商談」のため面会する旨を申請することには何ら疑念を持たれなかつたものと推認することができる。

3 取引の折衝にあたり、中村はまず、坂本に対し、「防衛庁で数の子を購入したいので、早急に五トンほど調達してもらいたい。お国のためだと思つて何とかお願いします。隊員が年末年始で帰省する前に納入してもらいたい。」等と申し入れたのであるが、一般人としては、防衛庁又は自衛隊が、隊員又は職員のため正月用品の一つである数の子をあつせんし、あるいは隊員又は職員の正月の食用に供するため、五トン程度の量の数の子を購入するということは、その付随的な業務として行われ得るものであると考えても不思議ではないということができる。

4 中村は、昭和五〇年一二月一三日、第一会議室において坂本に対し、「航空自衛隊補給統制処第三部防衛事務官」と肩書を付した自らの名刺を手交し、以後第三整備課計画班に設置された電話機を使用して、数回にわたり坂本と通話をしていたのであるから、一般人とすれば、中村は職務上坂本と取引の折衝していたものと見られて然るべきものであるということができる。

5 したがつて、右1ないし4において説示した諸点に照らせば、中村が補給統制処所属の防衛庁事務官として控訴人から売買名下に魚卵を騙取した行為は、その客観的外形的な諸事情から見て、被控訴人の事業の執行につき行われたものという範疇に該当するものと断ぜざるを得ないものというべきである。

なお、〈証拠〉によれば、控訴人の専務取締役坂本元は、中村栄作との間における取引の折衝につき、中村から防衛庁の購入予算額の提示を受けず、購入物品の単価・代金についても格別の取り決めをせず、単に購入数量を指示されただけで、しかも、発注書又は契約書の授受をしなかつたものであり、また、その後の取引の過程においても、中村から納品受領書を受け取ろうとせず、最終回(昭和五一年一月三〇日)には中村が「補給統制処の車両は使用できないから。」と言つて自家用(白ナンバー)の貨物自動車を差し向け、前記大井埠頭の倉庫の前において「たら子もついでにもらつて行こう。」と申し入れて坂本からその引渡しを受けた事実を認めることができるところ、これを一般的に見れば、防衛庁との間において、多量でしかも高額な数の子の取引をしようとするものとしては、右認定のような事実は異例なことであると指摘されてもやむを得ないものであるが、他方、後記認定のような控訴人の従前からの取引慣行に照らせば、魚卵の単価・代金額は取引時における相場により自ら定まるものであり、契約書・納品受領書等の授受がないことは控訴人側の不利益に作用するにとどまり、また、予算額の提示の有無は控訴人側から見て重要な事柄でなかつたので、坂本は、中村との間の魚卵の取引において、あえて予算額の提示、代金額の決定、発注書・契約書の作成及び納品受領書の交付等を中村に要請せず、そのため取引の形式としては極めて簡略な方法を措つたにすぎないものと見るのが相当であるから、右認定の事実は、中村のした行為を被控訴人の事業の執行につき行われたものと判断するのを妨げる事由にならないものというべきである。なお、右売買名下に取引の目的とされた数の子及びすけとうだらの子の数量が防衛庁又は自衛隊の隊員又は職員の規模と対照して異例に多量なものであると認め得べき資料は存在しない。

四次いで、被控訴人は、控訴人が中村栄作の行為がその職務権限の濫用行為(逸脱行為)であることを知らなかつたことにつき重大な過失があつた、と主張するので、この点について検討する。

1 前記二の2の(一)ないし(五)について認定した補給統制処、同処第三部第三整備課及び同課計画班の各業務内容、中村栄作の担当業務内容、補給統制処において売買等の契約を実施する権限を有する者並びに補給統制処における物品購入等の現状等の諸点から見れば、中村が控訴人との間で行つた魚卵の取引行為は、防衛庁の行う取引としては異例な行為であり、しかも異例な態様による行為であつたということができる。しかし、それは、補給統制処等の業務内容、防衛庁における取引の具体的実施方法等を日ごろから見聞して知悉している者の立場から見た場合においてそのように評価できるといえるにすぎないことであつて、後記認定の状況下において、中村と折衝した坂本元の立場から見れば、中村のした取引行為は正当な職務行為に当たるものと見えたのであり、そのように見えたことは、一般的評価として相当であつたということができる。

2  〈証拠〉によれば、控訴人は、前記中央卸売市場において、イクラ・数の子・たら子・筋子等魚卵の卸売業を営み、寿司屋・魚屋等を相手方として取引をしているのであるが、その商品が鮮度を生命とするものであり、かつ、相場の上下が激しい性質のものであるから、その取引は、相い対又は電話を通じての口頭による遣り取りで決めるのが通例であつて、取引に際し注文書・契約書等を取り交わすような事例はなく、そのような文書を作成していたのでは、随時変動する相場に遅れることになるうえ、顧客も手間が面倒であるとして取引を避けるようになつてしまうこと、控訴人は、本件において初めて官庁との取引をしたものであり、中村栄作が魚卵の相場を良く調査して知つていたように見えたので、坂本元は、日ごろ寿司屋・魚屋等を相手方として取引をしている場合と同じような方法で取引を進めればよいものと考え、中村との間においても口頭による取り決めで数の子の売買契約を締結し、中村から注文を受けた数量の数の子・すけとうだらの子を中村に引き渡したものであり、その際官庁との取引をするには注文書・契約書等の作成が必要であるなどとは考え及ばなかつたこと、坂本は、前記認定のような所定の手続を経て市ケ谷基地に入門し、第一二号館の表出入口において「補給統制処」と大書された看板を見分し、中村の執務室に至つた後、中村から第一会議室に招き入れられて取引の折衝を受けたので、中村が職務上の行為としてその折衝に当たつているものと信じ、これを疑わなかつたこと、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  前記認定のように、坂本元は、当初竹内春男から勧められて、防衛庁の担当者から具体的な話を開き、防衛庁が竹内の説明するように本当に数の子を買うものであるかどうかかを確認する目的をもつて中村栄作を訪問したのであるから、その場でいきなり初対面の中村から数の子五トンを買い受けたい旨申し入れを受けても、直ちにその話に乗ることなく、若干の間合を取つて熟慮する機会を設け、中村の所属部署及び中村の職務権限等につき調査をしてみる必要があつたものということができるところ、〈証拠〉によれば、坂本は、竹内から「中村は一佐くらいの資格を持ち、物資の購入につき統轄して処理している。」旨説明を受けてこけを鵜呑みにし、他に確認の方法を講じなかつた事実を認めることができるのであるから、坂本には中村との取引を実行するにつき右の点に過失があつたものと見るべきである。

しかながら、右に認定し得べき坂本すなわち控訴人の過失は、前示1及び2の事実関係に照らし、軽少な過失にとどまるものというべきであり、重大な過失と見るのは相当でなく、他に坂本すなわち控訴人に重大な過失があつたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

五また、被控訴人は、中村栄作の選任監督につき過失がなかつたと主張するが、前記二の1の(一)ないし(七)において認定した中村栄作と坂本元との間における魚卵取引の経緯、同3の(一)ないし(四)において認定した中村の執務状況及び同4において認定した中村の不法行為の態様等に照らせば、中村の監督につき被控訴人に過失がなかつたと認めることはできないから、被控訴人の右主張は失当であり、これを採用することができない。

六そうすると、被控訴人は、控訴人に対し民法第七一五条第一項の規定により控訴人の被つた損害を賠償する責任があるものというべきであり、前記認定のとおり控訴人は、中村栄作の不法行為により総額四〇九九万六五〇〇円の損害を被つたのであるが、前記認定のとおり控訴人にも過失があつたから、その過失を考慮して右総額から一割を減じ、残額の三六八九万六八五〇円を賠償させることとするのが相当である。

そして、〈証拠〉によれば、控訴人は、中村栄作から、昭和五一年三月一七日から同年四月二三日までの間に四回にわたつて合計三一五〇万円の弁済を受けた事実を認めることができるから、右弁済額を前記賠償額から控除すると、損害金の残額は五三九万六八五〇円となる。

七したがつて、被控訴人に対し不法行為による損害の賠償を求める控訴人の本訴請求は、右金五三九万六八五〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和五一年七月二五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容すべきであり、その余の支払を求める部分は理由がないから、これを棄却すべきである。

よつて、控訴人の本訴請求をすべて棄却した原判決はその一部が失当であり、控訴人の本件控訴は一部理由があるから、原判決を右の趣旨に従つて変更することとし、訴訟の総費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(安倍正三 長久保武 加藤一隆)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例